*ケンジとキゼン*

 遠野に行ってきました。岩手県遠野市。「遠野物語」で有名な民話の里です。
 遠野物語を読んだのは20代の初め頃だったでしょうか。当時の印象から、四方を山に囲まれ、日もあまり差さず、外界との交流をたたれた隠れ里的なイメージをずっと持っていました。
 ところが実際に行ってみると、山に囲まれてはいるものの、広い平野に田畑が広がり、中央には県内陸部と沿岸部を結ぶ交通の要衝としての町があり、言ってみればどこにでもある普通の田舎町でした。
 どこにでもある田舎的だけれども、どこが違うかというと、やはり遠野物語というキーワードが出てきます。
 遠野物語は、遠野出身の佐々木喜善が作家を志し早稲田大学で学んでいる頃に柳田国男に語った遠野の伝承を、柳田がまとめたものです。
 中央官僚で民俗学者である柳田のまとめた話は、短い伝え聞きをそのまま簡潔な文章にまとめたもので、冷たく暗い感じがします。それは柳田の遠野(東北?)に対するイメージが反映しているのかもしれません。
 一方の佐々木喜善が遠野に戻ってから集めた話をまとめた「聴耳草紙」は、いわゆる「むかしばなし」であり、田舎の素朴で明るいユーモアが感じられます。実際の遠野はこちらのイメージに近いですね。
 こういった伝承や民話は、きっとどこの地方のどこの村にもあったはずで、遠野だけが特別ではなかったはずです。
 それが近代化していく時代の流れの中でだんだんと廃れ、消えていきました。それは遠野も例外ではなかったはずだけれども、柳田国男と佐々木喜善の偶然の出会いが遠野物語を生み、この地が遠野物語の故郷として永遠に残ることになったのです。
 
 市内に遠野物語関連の観光施設がいくつかあって、その中でも面白かったのが遠野市立博物館。
 中でも興味を惹いたのは宮沢賢治が佐々木喜善に送った手紙です。
 当時喜善は遠野で、賢治は花巻で暮らしていました。喜善が伝承収集の過程で賢治に「座敷童子のはなし」の原稿を送ってくれるよう依頼したのをきっかけにして、二人は交流を深めていきました。展示してあったのはそれに対する返事と「座敷童子のはなし」の原稿でした。
 思えば遠野と花巻は目と鼻の先、歳は喜善が十歳年上ですが、同じような風土で同じような話を聞いて育ったはずです。
 喜善は土地に伝わる民話をそのままの形で収集発表し、賢治は独自の世界・イーハトーブ童話として表現しました。
 現実の生活でも、喜善は地元の議員や村長を務め、賢治は自身の理想を追って開墾・自給生活に入ります。
 喜善は政治的ゴタゴタで失脚し、仙台に居を移すことになり、一方賢治の理想の生活は二年あまりで頓挫してしまいます。
 現実の社会で戦いボロボロになった喜善と、理想を追い求めボロボロになった賢治。二人は同じ昭和八年九月にこの世を去りました。
 今遠野は民話の里として、かつて何処かにあったような日本人の故郷的な懐かしさを自然体で感じさせてくれる町です。花巻は賢治の故郷として、訪れる人のイマジネーションを刺戟するような施設がたくさんあります。
 今の遠野と花巻を見たときに、喜善と賢治、それぞれの生き方が、それぞれの町の形に反映されているようにも見えました。

(2007年10月)

カッパって、えーと、頭に食器がのってて、くちばしがあって、水かきがあって・・・
遠野のカッパ???

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