子供の頃の私は食べ物に関してかなり好き嫌いがありました。
まず肉がまったくだめでした。給食にでるスジと脂身だらけの肉はもちろん、ラーメンのチャーシューさえもだめ。きらいというよりこわいって感じでした。
肉だけでなく油っこいものはほとんどだめで、コッペパンを油で揚げて砂糖をまぶした「揚げパン」さえ食べることが出来ませんでした。野菜も癖の強い人参やピーマンが苦手、魚は小骨のなさそうなところを二、三口食べたらそれで終わり。当然食事の度にしかられます。
子供のころ、ものを食べるという行為は苦痛をともなう事があまりにも多く、食事とはけっして楽しい行為ではありませんでした。
それが何でも食べられるようになったのは、大人になって味覚が変わったこともあるでしょうが、旅をするようになった事が大きく影響していると思います。
旅において初めて食べ物を意識するようになったのは、二十歳で北海道を旅したときです。
その土地ならではの新鮮な魚介類は、まだ好き嫌いのはげしかった私の口に、なぜか抵抗なく受け入れられました。
特に印象深いのは、支笏湖で食べたチップ(ヒメマス)のフライです。当時1.000円以上の食事などしたことのなかった私にとって1.700円のフライは冒険といってもいいくらいのものでした。
淡いキツネ色にあがった衣から立ちのぼるマスの香り。魚などいつも二、三口でやめてしまう私が、頭から丸ごとかぶりつきました。
口の中でくずれていく揚げたての身の香ばしさ、柔らかくなった骨の抵抗感、今でも忘れることが出来ません。
それからあちらこちらを旅するたびに食べ物に気を向けるようになりました。
宗谷岬で食べたタコしゃぶ、十三湖のシジミ、三陸で食べたホヤ、伊勢志摩で食べたあこや貝の貝柱、四万十のウナギ、愛媛で食べたアマゴ、みんなおいしかった。九州で食べたサボテンとパイナップルの生ジュースはいまいちだったなー。
一番おいしかったのは三重県鳥羽の定食屋で食べた焼きアジです。アジは家でも時々食べますが、旬の獲れたてのアジを港のにおいの中で食べたのですから、くらべようもありません。
その土地土地にうまいものがあり、またその土地、風土の中で食べるからうまいものもあります。
その土地ならではの食べ物というものは、その土地に流れる時間によって育まれるものであり、その土地の文化そのものではないでしょうか。
そんなふうに旅先でいろいろな食べ物にふれるうちに、いつの間にか好き嫌いがなくなっていました。そして食べるという行為が、何物にも代え難い、楽しい行為になっていったのです。
あちこち旅していろんなものを食べるようになると、自分のやっている農業という職業が「食べ物を作る」職業なんだと再認識させられます。
私の住む地区は開拓村で、農業に関してはみんなプロです。しかしたとえば私の両親などは、確かに作ることにかけてはプロですが、本当に「食べ物を作っている」という認識があるのだろうかと感じてしまう事があります。
農「業」によって生計を立てているわけですから、ある程度割り切った考えをしなければならないのかもしれません。しかし私は、農業のプロであると同時に、「食べ物を作る」プロでありたいと願うのです。そして誰かの食べる楽しみの一端を担うことが出来たなら、こんなうれしいことはないですね。
(1999年9月)
ごはんを食べよう!